
元WANDSのボーカル上杉昇さんのカバーアルバム『SPOILS #2 Azurite in Granite』に収録される「1920」は、松任谷由実さんが2020年にリリースしたアルバム『深海の街』に収録される楽曲です。
一見すると断片的で幻想的なイメージが連なった楽曲ですが、その奥には時間という抗えない流れと、それに翻弄されながらも消えずに残る愛の本質が静かに描かれています。
本記事では、個人の記憶、歴史、運命といった大きなテーマを内包した文学的な松任谷由実さん作詞の「1920」の歌詞を読み解き、簡単ではありますが自由に解説・考察していきます。
時間に歪められる世界と、失われていく理想
松任谷由実さん作詞の「1920」は、恋愛の物語でありながら、その枠を超えて「時間」と「運命」、そして「人が何を信じて生きるのか」を静かに問いかける楽曲です。
黄昏から始まる現実と幻想の境界
「アネモネ色の溜息」「宵の靄が歩きだす」という冒頭の表現は、昼と夜、現実と幻想の境界が溶け合う瞬間を描いています。
この曖昧な時間帯は、記憶が呼び覚まされ、過去と現在が交錯する入口でもあります。ここで描かれる世界は、すでに通常の時間感覚から外れており、聴き手は静かに“時の迷宮”へと導かれます。
振り子時計が象徴する運命の配布

曲の中で繰り返し登場する「振り子時計」は、正確に時を刻むはずの時計が「時を歪ませ」「カードを配り続ける」存在として描かれます。
これは、人生における出来事や運命が、本人の意思とは無関係に偶然や必然によって配られていくことの比喩でしょう。
人は自分の意思で選択しているつもりでも、実際には時間と運命の手のひらの上で生かされている、という感覚がにじみます。
栄光の後に残る空虚な風景
アントワープのオリンピック、空席だらけのコロシアム、孤独なギャツビー。これらはいずれも、かつて人々の情熱と野望が集まった場所や象徴です。
しかし歌詞の中では、そこに残るのは熱狂ではなく、静けさと孤独です。理想や夢が時代の流れの中で色あせていく様子が、歴史的イメージを通して描かれています。
特にギャツビーは、夢を追い続けながらも敗北した象徴的存在です。「どんな野望に敗れたの」という問いは、彼だけでなく、時代に翻弄されてきたすべての人への問いかけでもあります。
時を超えて残る変わらない愛の誓い
確かな重みを持って響く「帰る場所」

こうした喪失感と虚無の世界の中で、サビで何度も繰り返される「かならず 帰る きみのもとへ」というフレーズは、曲の感情的な支柱となっていて、確かな重みを持って響きます。
過ぎ去った日々が「もう遅い」と語りかけてきても、それでも帰る場所があると信じる意志。ここに描かれるのは、楽観的な希望ではなく、時間の残酷さを知ったうえで選び取る愛です。
「もっと強くなって」という言葉は、時間に耐えるための精神的な成熟を意味しています。
セピア色の写真に閉じ込められた幸福
「セピア色した写真」は、二度と戻らない過去に閉じ込められた幸福な瞬間の象徴で、写真の中の恋人たちは、時間が止まったまま語り続けますが、現実の世界では別れが訪れます。
「やがて彼女は群衆にもまれ 彼の船に手をふった」この描写は、愛する者同士であっても、人生の流れから逃れられないことを静かに示しています。
100年経っても消えないもの

二人はそれぞれの人生の流れに飲み込まれていきますが、それでも愛の誓いだけは消えません。
かならず帰る きみのもとへ もっと強くなって
それは消えることのない 愛の誓いだった
「それは消えることのない愛の誓いだった」「あと100年経っても」という言葉は、すべてが変わりゆく中で、変わらないものが確かに存在することを示しています。
それは変わることのない あと100年経っても
振り子時計がカードを配り続けても、心に刻まれた誓いだけは、時間の歪みを超えて生き続けます。
「今とあのときのあいだ」に立つ私たち
曲ラストの「私は何を見ているのだろう 今とあのときのあいだに」という最後の問いかけは、過去を懐かしみながら生きる私たち自身に向けられています。
私たちは何を見て、何を追いかけてきたのか?「1920」はその答えを押し付けることなく、時間の狭間に立つ感覚だけを静かに残して終わります。
上杉昇「1920」楽曲データ
カバーアルバム『SPOILS #2 Azurite in Granite』に収録
上杉昇さん「1920」は『SPOILS #2 Azurite in Granite』に収録されています。個人的には尾崎 豊さん「贖罪」のカバーがアルバムのなかで一番好きです。
楽曲名:1920
アーティスト:上杉昇
作詞:松任谷由実(YUMING)
作曲:松任谷由実(YUMING)
編曲:平田 崇、岡野ハジメ
リリース年:2023年
松任谷由実本人による「1920」解説
今年の5月、私の母が百歳を迎えました。調べてみると100年前の1920年(大正9年)とその前後の頃に、スペイン風邪、アントワープ・オリンピックなど、2020年との共通項が幾つも見つかり、そこからイメージが広がりました。ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜の、言わば“狂騒の20年代”です。
歌詞に〈ギャツビー〉が登場していますが、フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』(1920年)が以前から好きでした。ベースとキーボードという二つの楽器のみの演奏ですが、無心で聴いていると冒頭のディレイで脳を刺激されて、音の隙間、つまりは“行間”からたくさんの情報が読み取れました。すぐに〈アネモネ色〉が見え、〈振り子時計〉の音が聴こえてきました。
自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分を追い込むことで、新たな扉が開きました。
アルバム『深海の街』特設サイトより
振り子時計が時を歪ませ続けるように、人生は思い通りには進みません。それでも「帰る場所がある」と信じる意志は、過去と現在をつなぎ、未来へと人を支え続けます。
今を生きる私たち自身が“今とあのときのあいだ”で何を見つめ、何を守ろうとしているのかを、松任谷由実さん原曲の「1920」は、そっと照らし出す一曲です。
記事更新日:2026年03月01日 by KSTY






















